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【振り返りレポート】ぼうさいこくたい2025in新潟~曳家先生が現地レポート!~

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未来を支える技術と熱意の集結!「ぼうさいこくたい2025 in 新潟」参加レポート

曳家先生がぼうさいこくたい2025を現地レポート!

2025年9月6日と7日の2日間、新潟市の朱鷺メッセで開催された日本最大級の防災イベント「ぼうさいこくたい2025 in 新潟」に、私たち一般社団法人日本曳家協会の代表として、五月女建設、曳家先生も参加してまいりました。 「語り合い支え合い~新潟からオールジャパンで進める防災・減災~」という力強いテーマのもと、全国から集まった防災のプロフェッショナルたちの熱気に満ちた、刺激的な2日間を振り返りレポートします。
この記事が、皆様の防災意識を新たなステージへと引き上げる一助となることを願ってやみません。

今回の「ぼうさいこくたい」で私が受けた最も大きな衝撃は、「防災」という言葉が持つ、裾野の広さでした。 それは単に災害に備える、という一元的なものではなく、地質学、法学、情報科学、心理学、教育、福祉、そして私たちの専門である建築技術まで、あらゆる分野が複雑に絡み合い、支え合う壮大なシステムだったのです。

この記事は、2025年9月に新潟で開催された日本最大級の防災イベント「ぼうさいこくたい2025 in 新潟」に、一般社団法人日本曳家協会の一員として参加した際の現場レポートです。

本稿では、まず被災者の生活再建という最も困難な局面に法的に寄り添う「行政書士」の知られざる役割、土地の成り立ちから災害の宿命を読み解く「応用地質学」の深い知見、そして地域コミュニティの防災力を飛躍させる「防災士」の重要性など、多様な専門家たちが織りなす「オールジャパン」の防災の最前線を紹介します。

さらに、私たち日本曳家協会が誇る伝統技術「曳家」が、単なる建物の移動技術に留まらず、被災した家屋の修復や、危険地帯からの事前移転といった形で、いかに人々の暮らしと文化、そして未来への希望を守る力となりうるのかを、現場での来場者との熱い対話を通じて詳述します。

現場で感じた参加者たちの圧倒的な熱量、生々しい感動、そして未来への確かな希望を込めたこのレポートが、日本の防災を考える上での新たな視点となれば幸いです。

第一部:「防災」の概念が覆された瞬間

1. 「支え合い」の最前線:行政書士が描く、被災者支援の新たな地図

会場を歩く中で、まず興味を引かれたのが「新潟県行政書士会」のブースでした。 正直に告白すると、これまで私は行政書士の業務と災害復旧が直接的に結びつくとは、あまり考えていませんでした。 しかし、そこで展開されていたのは、被災者の生活再建という、最も困難で繊細なプロセスに寄り添う専門家の姿でした。彼らのテーマは「被災者の生活再建に寄り添う行政書士~大規模災害時における自治体との協働実績から~」。 具体的には、新型感染症禍、地震発生時、水害などの災害が発生した際、被災者は「罹災証明書」の発行申請にはじまり、各種支援金の申請、仮設住宅への入居手続き、事業再建のための融資申請など、膨大かつ複雑な行政手続きの奔流に飲み込まれます。 心身ともに疲弊している被災者にとって、これはあまりにも過酷な現実です。

行政書士の方々は、こうした複雑な書類作成や申請手続きを代行・サポートすることで、被災者の精神的・時間的負担を劇的に軽減します。 さらに、自治体と災害協定を結ぶことで、発災直後から迅速に行政と連携し、支援の網の目からこぼれてしまう人々を一人でもなくそうと尽力されているのです。 まさに、テーマである「支え合い」を制度と専門性で体現する活動であり、「公助」と「自助」の間を埋める、不可欠な「共助」の形がそこにはありました。

 

2. 大地の声を聞く:日本応用地質学会が解き明かす新潟の宿命

次に私の心を刺激したのは、「一般社団法人日本応用地質学会」の展示でした。 新潟県が2004年の中越地震をはじめ、数々の災害を経験してきたことは周知の事実です。 しかし、なぜこの地で災害が頻発するのか、その根本的な理由について、これほど深く考えたことはありませんでした。

同学会の解説は、非常に興味深く、 新潟の地は、日本列島を東西に分断する巨大な溝「フォッサマグナ」の東端に位置し、地質学的に非常に活動的で不安定な土壌の上にあるというのです。 さらに、現在の新潟平野の多くは、江戸時代に干潟を干拓して作られた土地であり、地下には水分を多く含んだ軟弱な地盤が広がっているとのこと。

つまり中越地震で発生した大規模な地すべりや、1964年の新潟地震で深刻な被害をもたらした液状化現象は、決して偶然ではなく、この土地が持つ地質学的な宿命とも言えるものだったのです。 災害伝承碑をマッピングし、過去の災害の教訓を未来に活かそうという彼らの取り組みは、まさに大地の声に耳を傾け、自然と共生していくための知恵そのものでした。 防災とは、単に目の前の現象に対処するだけでなく、数百年、数千年単位で土地の歴史を理解することから始まるのだと、深く納得させられました。

日本応用地質学会 ぼうさいこくたい2025

3. 誰がために鐘は鳴る:防災士・災害対策士が担う「最初の行動(ファーストアクション)」

「いざという時、あなたは何ができますか?」 会場の至る所で、この根源的な問いが投げかけられていました。 発災直後の72時間は「黄金の時間」と呼ばれますが、その間、行政機能は麻痺し、公的な救助(公助)がすぐに行き届かないケースがほとんどです。 そこで重要になるのが、地域住民による「自助」と「共助」です。

しかし、多くの人が「何をすべきか分からない」という現実に直面します。 この深刻な課題に対する一つの答えが、「防災士」や「災害対策士」といった、専門知識を持つ市民リーダーの育成でした。 「認定特定非営利活動法人 日本防災士機構」や「株式会社防災士研修センター」などのブースでは、多くの熱心な市民が足を止め、その役割について学んでいました。

彼らは、平時には地域の防災訓練を主導し、ハザードマップの理解を深め、住民一人ひとりの防災意識を高める伝道師です。 そして発災時には、避難所の開設・運営、安否確認、情報収集と伝達など、混乱の極みにある現場で、冷静かつ的確な「最初の行動(ファーストアクション)」を取るための羅針盤となります。 自治体と地域住民の間に立ち、双方の言葉を翻訳し、円滑な連携を促す。 まさに、地域の防災力を飛躍的に向上させるキーパーソンであり、その育成が急務であることが強く印象付けられました。

4. 専門家集団の遊び心:日本技術士会の魅力的なアプローチ

個人的に、そして仕事柄、特に楽しみにしていたのが「公益社団法人 日本技術士会 北陸本部」のブースでした。 技術士会というと、少し堅いイメージを抱いていたのですが、その展示は良い意味で期待を裏切るものでした。

彼らのテーマ「北陸の災害教訓から学ぶみんなの防災」は、非常に実践的で、かつ参加者を引き込む工夫に満ちていました。 例えば、インフラの液状化被害を視覚的・体感的に理解できる模型や、地層の形成の歴史を楽しみながら学べるワークショップなど、専門的な知識を誰もが「自分ごと」として捉えられるようなコンテンツが満載でした。 訪れる人々の質問に、技術士の方々が生き生きと答えている姿が印象的で、そこには技術者としての誇りと、社会に貢献したいという純粋な想いが溢れていました。 専門家が持つ知識や技術を、いかに分かりやすく、魅力的に社会に還元していくか。そのヒントに満ちた、素晴らしい空間でした。

第二部:伝統技術を用いた復旧―日本曳家協会

さて、私たち一般社団法人日本曳家協会も、この熱気あふれる「ぼうさいこくたい」の屋外展示エリアで、日本の伝統建築技術「曳家(ひきや)」が持つ可能性を発信してまいりました。

ぼうさいこくたい2025 曳家先生 レポート

1. 「曳家」とは何か?―単なる移動ではない、文化と生活を守る技術

私たちのブーステーマは、「曳家の技術で守る! 傾いた建物を直す。被災建物の修正工事とは?」。 「曳家」と聞いても、ピンとこない方が多いかもしれません。 曳家とは、建物を解体せずに、基礎から切り離してジャッキで持ち上げ、そのまま別の場所へ移動させたり、元の場所で回転させたり、あるいは傾きを修正したりする専門技術です。

この技術の真価は、災害時にも発揮されるといって過言ではありません。

  • 災害からの復旧: 地震で傾いたり、地盤沈下で沈んでしまったりした建物を、建て替えることなく元の状態に修正することができます。 これにより、被災者は経済的な負担を大幅に軽減できるだけでなく、愛着のある我が家での生活を継続できるのです。
  • 未来の災害への備え(防災): ハザードマップなどで土砂災害や浸水の危険性が指摘されている区域にある建物を、あらかじめ安全な高台や後背地へと移動させる「事前防災」も可能です。 これは、かけがえのない生命と財産を、災害から能動的に守るための究極の選択肢と言えるでしょう。

曳家は、単に建物を物理的に動かすだけの技術ではありません。 そこに住む人々の想い出、地域の歴史、そして受け継がれてきた文化そのものを、未来へと繋ぐための技術なのです。

2. 屋外展示での熱い対話:来場者の驚きと共感

私たちの展示は、1階のサービスヤードに設けられたテントで行われました。 テントの前には、曳家工事、沈下修正工事の施工事例のパネル・PC動画を展示し、工事の工程を写真や映像で分かりやすく解説しました。

ぼうさいこくたい2025 日本曳家協会 パネル展示

2日間、本当に多くの方々がブースに立ち寄ってくださいました。 自治体の防災担当者、建築関係者、そして何よりも、真剣な眼差しで私たちの説明に耳を傾ける一般の市民の方々。

「まさか家を丸ごと動かせるなんて、夢にも思わなかった」
「能登半島地震で多くの家が傾いているのを見た。この技術があれば、救える家がたくさんあったのではないか」
「うちも裏が崖なので、いつかはこの技術のお世話になるかもしれない。話が聞けて本当に良かった」

中でも建物の傾きを直す際の法的解釈や再沈下可能性、工程などについて、積極的な質問を受けることも多く、こうした生の声に触れるたび、私たちの技術が持つ社会的意義の大きさを再認識し、胸が熱くなりました。

災害大国日本において、曳家技術は、復旧・復興の選択肢を広げ、人々に希望を与える力を持っている。 その確信を、参加者との「語り合い」の中から得ることができたのは、何よりの収穫でした。

 

第三部:「オールジャパン」の多様性

今大会のテーマである「オールジャパン」は、決してスローガンだけではありませんでした。 会場を見渡せば、その言葉が意味する多様性と重層性が、リアルな形で立ち現れていました。

テクノロジーの最前線: 「防災DX官民共創協議会・デジタル庁」のブースでは、AIやドローン、衛星通信といった最新技術を駆使した、次世代の災害情報システムが紹介されていました。 迅速かつ正確な情報が、一人でも多くの命を救う未来を予感させました。

地域に根差す共助の力: 「チーム中越」をはじめとするボランティア団体は、中越地震の教訓を生かし、平時から顔の見える関係を築き、災害時には行政の手が届かない細やかな支援を行う、地域防災の要です。 彼らの地道な活動こそが、日本の防災力の根幹を支えています。

知の拠点、大学の挑戦: 「新潟大学災害・復興科学研究所」などは、災害メカニズムの解明から、被災者の心のケア、復興まちづくりまで、幅広い研究成果を社会に還元していました。 専門的な知見が、より効果的で人間的な防災・減災策を生み出していくのです。

これらの多様な出展者が、それぞれのブースやセッションで知識や経験を惜しみなく共有し、互いに学び合う。 このダイナミックな交流こそが、新たなイノベーションを生み出し、日本全体の防災力を底上げしていく原動力なのだと実感しました。

最終章:語り合いの先に―私たちが持ち帰ったもの、そして未来への誓い

濃密ながらもあっという間に過ぎ去った2日間。 新潟の地を後にする今、私の心には、心地よい疲労感とともに、確かな希望の光が灯っています。

「ぼうさいこくたい」は、この国を災害から守りたいと願う、無数の熱い「想い」が出会い、共鳴し、大きなうねりとなっていく場所でした。 参加者一人ひとりの真剣な眼差し、白熱した議論、そして時折見せる笑顔。 そのすべてが、「語り合い支え合い」というテーマの本当の意味を物語っていました。

私たちの持つ伝統技術は、決して過去の遺物ではなく、 それは人々の未来の暮らしを守り、希望を支えるための力となりうるのだと改めて確信しました。

このレポートを読んでくださった皆様。 どうか、今日のこの記事をきっかけに、ご自身の、そしてご自身の地域の防災について、もう一度考えていただけたら何よりです。

ぼうさいこくたい2025 in 新潟」で出会ったすべての皆様に、心からの感謝を。
また来年、さらに成長した姿でお会いできることを、心から楽しみにしています。

日本曳家協会メンバー ぼうさいこくたい2025

 

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五月女 紀士(そうとめ もとし)

五月女建設代表取締役、日本曳家協会常任理事、曳家指導士。古民家鑑定士。1979年栃木県鹿沼市生まれ、栃木県鹿沼市在住。日本大学生産工学部土木工学科卒業。2003年に建設業の道に入り、土木作業、施工管理業務を経験したのち、2005年より五月女建設に入社、曳家業務に従事する。国指定有形文化財「真岡高校記念館」での曳家技術を活かした耐震改修工事では現場監督を務め、2018年に専務取締役、2020年に代表取締役に就任する。現在、「お客様の『想い』に寄り添い対等な関係を構築する」営業で、曳家工事において全国でもトップクラスの件数を受注している。曳家先生として、曳家技術や地盤沈下、大雨被害対策、古民家再生の解説・講演を行いつつ、大好きな仕事に励んでいる。3児の父、休日は山や川での犬散歩を喜びとしている。曳家工事の専門家。 Facebook  Instagram  Youtube

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